コーチの日々。

京都で開校!婚活教育コーチのブログ。<結婚の学校|京都|認定講師>

よそ者として。

よそ者として生きることの意味をつくづく考えさせられている。

 

山口県に生まれ、今まで大阪や沖縄、北海道、時々東京で働いてきた。
一番長く住んでいるのは大阪で、気が付くと30年以上になる。

18歳の時に大学進学のために大阪で一人暮らしを始め、意図せず卒業後もそのまま大阪に居ついてしまった。
学生時代~サラリーマン時代~会社起業までの10年以上の期間は学生時代を含み若かったせいか体感的にも時間の経過が遅く感じられ、徐々に慣れていったのだろうか。

いや、それでも関西人にはなり切れていない。
今でも関西弁があまり達者ではないせいか、
関西以外の出身であることは初対面の方にもすぐにバレてしまう。
多かれ少なかれ、関西以外から移り住んでこられた方とはどこか共感がある。

 

30代でIT関連の会社経営をしていた頃だが
沖縄に事業所を立ち上げたときの経験は実に大きな財産となった。

沖縄の歴史を勉強し、文化を知ろうとした。
感じようとして、考えて、それでも多くの失敗をした。
その後時を経て北海道に渡った時も、同じように成否こもごもだった。

 

40代になり、大阪のベッドタウンで小さな飲食店を始めたときも、
まちの中で商売をする、その初めての体験に学びが多いことにもすぐに気が付いた。

まちに馴染み、まちを知り、まちで暮らすことに必死だった。
自分の商売だけを考えていたら、すぐに手詰まりになる。
いつもそのまちと、そのまちに暮らす人のことを考えていた。
ちっぽけな自分の存在を、それでも必死にがんばっていると、応援してくださる方も増えた。

 

いつしか、
おまえみたいな「若者、バカ者、よそ者」がまちを面白くするのだ、
期待している、がんばれと、応援してくださる方が増えた。
言われるとなんとなく意識するようになり、
地域創生とか、地域活性とか、
自分の器にはとうてい合わないテーマではあったが、
自分の商売以上に真剣に向き合ってきたように思う。

多くの経営者や、様々な団体の世話役の方
市民活動をされる方、拠点をお持ちの方
支援を求める人や団体、支援を差し伸べる市民
行政や政治家、スポーツ団体、芸術家、音楽家、もの書き
何かをしている人、何かをしようとしている人
商売人仲間、静かにそこに暮らす人
実に様々な人たちと交流し、見守り、意見を交わしてきた。

 

この人たちに、育てていただいた。
この時期接していただいた方には、とても恩を感じている。

 

その時の恩人のおひとり、タカハシさんと
久しぶりにランチをご一緒させていただいた。

歴史、経済、政治、文化の各方面に幅広く深い造詣をお持ちで、
穏やかな人柄と個性的な嗜好、鋭い舌鋒がとても魅力的。
いつも気にしていただいており、
そして必要な時に程よい示唆をくださる。
店を持たない今の私から提供できるものは何もないのだけど、
無償の愛情を注いでくださることには感謝しかない。

この日も、実に多くのヒントをいただいた。
私がもがいているものが全て透けて見えているように。

 

場所は京都河原町にある創業70年のビヤレストラン・ミュンヘン
店内の雰囲気が見渡せるようにと、一番奥のテーブルで私に壁側の席を譲る配慮もお見せになり。
ご自身は店の造形から醸し出される歴史と文化を借景として背負い、ビールとたばこを手にお話になるその姿はまるで映画の1シーンを連想させた。

 

舞台は、整っていた。

 

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私は今、京都で仕事をしようとしている。
年齢の割にまだ青く、向こう見ずで人とことにあたる若者として。
あまりにもこの地の歴史と人を知らず、バカ者として。
このまちの一員になろうとするその空回りを、冷ややかに見つめられるよそ者として。

タカハシさん、いろいろな気付きの機会をくださって、ありがとうございます。

 

私は本を正せば長州人。
雄藩から出た若き志士らが古いしきたりにとらわれない言動で世を変えていったその先例にならい、

活気に満ちた若者として
常識にとらわれず新鮮でとっぴな発想をするバカ者として
異なった視点から物事を見るよそ者として
自分の持ち味を発揮してみようと思います。

  

 

 

全然関係ない話だけど
サッカー日本代表戦があるときは家でTV観戦したいと思いながら
そんなことは、まあなかなか叶わない。

パナマ戦3-0勝利。
帰宅してから録画を早送りしながら観戦。
得点以外、何のことかわからない(笑)